黙示1扶桑第1帖(851)
東は扶桑(二三)なり、日(◎)出づる秋(とき)は来にけり。この巻扶桑(二三)の巻、つづく六の巻を合せて七の巻一百四十四帖の黙示を
五十黙示と申せよ。
イシもの言ふぞと申してありたが、イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、
五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ、ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。握れば元の五となる。五本の指の様に一と四であるぞ、このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ、判りたか、五十連世に出るぞ。
天に神の座があるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ。七の印(しるし)と申してあるぞ、
七とはモノのなることぞ、天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、
伊邪那岐三となり伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、
五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、
天は数ぞと申してあろう、地はいろは(意露波)であるぞ。判らん者が上に立つこととなるぞ、大グレン目の前、日本のみのことでないぞ、世界中のことであるぞ、今度は三千世界が変るのであるから
今迄のようなタテカヘではないのであるぞ。
何も彼も鏡にうつるのであるぞ。鏡が御神体であるぞ。何もうつらん御神体のカガミは何もならんぞ。