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補巻月光第50帖(838)

 何も六ヶ敷いこと申すのではない。自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る道理内の自分を洗濯せずにゐて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ。三千年に一度の時がめぐり来てゐるのであるぞ為せば成る時が来てゐるのぢゃ。為さねば後悔ぞ。時すぎて種まいても、くたびれもうけ。そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申してゐるが、すべては大神の肚の中にゐて、一応 大神が許しなされて居ればこそ存在し、いのちしてゐるのであるぞ。悪くうつるのは心のかがみがくもってゐるからぞ。悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ。新しき世界には新しき【てんし(天詞)てんか】をこしらえねばならん。このこと間違えるでないぞ。珍らしき御型(方)が出て来てびっくりぢゃ。びっくりしなければヒックリとはならんぞ。神は今迄 化けに化けていたが、もう化けては居られん。人民ももう化けては居られんぞ。九分九厘までは化けて、がまんしてゐたなれど、化けの世、方便の世、方便の教はすんだのぢゃ。教では世は正されん。教のつどいはつぶれて了うのぢゃ。無理してはならん。そなたの無理押しは よいことをわるく曲げるぞ
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