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27春第41帖(698)

 天には天の道、地には地の道、人民には人民の道あると申してあろう。同じ道であるが違ふのぞ。地にうつし、人民にうつす時には、地の約束、人民の約束に従ふのぞ。約束は神でも破れんのであるぞ。次元違ふのであるから違ってくるぞ。違ふのが真実であるぞ。それを同じに説いたのが悪の教。同じと思ふのが悪の考え方であるぞ。上から来るものは光となって流れてくるのざ。光に本来影はないのであるが、動くから影がうまれる。それを影でない影と申すぞ。悪でない悪あると申してあろうがな。天には天の自由、地には地の自由、神には神の、人民には人民の、動物には動物のそれぞれの自由あるぞ。その性の高さ、清さ、大きさなどによって、それぞれの制限された自由あるぞ。自由あればこそ動くぞ。自由とは弥栄のこと。光は神から人民に与へられてゐる。光に向かふから照らされる。光はヽ、真、善、美、愛となり、又そのうらの○、疑、悪、醜、憎となり現れるぞ。御用の善となり、御用の悪となる。悪にくむは外道の善、外道とは上からの光が一度人民界にうつり、人民界の自由の範囲に於ける凹凸にうつり、それが再び霊界にうつる。それが幽界と申してあらう。その幽界から更に人民界にうつったものが外道の善となり、外道の悪となるのざ。善にも外道あるぞ。心得よ。光は天のみでなく、地からも人民からも、すべて生命あるものから出てゐるのであるが、その喜びの度に正比例してのものであるから、小さい生命からの光は判らんのであるぞ
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