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25白金第5帖(616)

 人間に自由はないのであるぞ。真の自由は、大神にのみあるものぞ。大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又神の喜びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由をもってゐると信ずるのであるぞ本質的には自由はないのであるぞ。人間には自由の影があり、反影あるのざ。それを人間は自由と心得てゐるのであるぞ。自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。又進歩、弥栄するのであるぞ。悪自由を、人間は自由と心得てゐるが、それは自由ではなく、自分自身を首くくるものぞ。善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあらう。他の世界と交流するは、他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。世界とは人間のことでもあるぞ。人間が世界であるぞ。よく心得なされよ。+(陽)と-(陰)と○とヽであるぞ。+の陰には-があり、-の陰には+がある。その和の状態が○でありヽ(イノチ)するのであるぞ。+は+のみでは力ないぞ。-は-だけでは力ないぞ。+と-とだけでも動きないぞ。生命の喜びないのであるぞ。よく心得よ。○があって+-があり、+-がありヽがあって和があるのであるぞ。ここの道理よく得心、合点せよ。+は人間にとって直接の喜びでない。(○中+)がぢきぢきの喜びぞ。-も直接ではなく、(○中l)(○中ー)が直接の喜びであり、その二つが和しヽして嬉し嬉しと弥栄えるのであるぞ。天地の中間を中界と申すぞ。天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。
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