意識レベル500 愛
[神の視点] 愛のある
[人生の視点] 恩恵
[レベル] 愛
[感情] 崇敬
[プロセス] 啓示
[幸せ度] 89
[人生の視点] 恩恵
[レベル] 愛
[感情] 崇敬
[プロセス] 啓示
[幸せ度] 89
一般的な社会で定義される「愛」はここでいう「愛」とは違うものです。 一般的に「愛」と呼ばれているものは肉体的な魅力、所有欲や嗜好など目新しさが交わった激しい感情的な状態をいいます。
それはとても壊れやすくてまた変わりやすく満ちては引く潮のようなものです。 ひとたびフラストレーション(欲求不満)が起きると「一般的な愛」は仮面を外し、 それが本来持っていた怒りや依存関係が明らかになることがよくあります。
「一般的な愛」が落胆や失望や憎悪に変わることはよくあることです。 しかし、それはここでいう「愛」ではなくセンチメンタリズム(感傷的愛・依存的愛)のことです。
そのような「一般的な愛」はここでいう本当の愛ではなく「プライド」や「欲望」や「恐怖」という意識から生じた、 単なる「感情」でしかありません。
【500】レベルでの内面から創造される無条件かつ永久的な「愛」はどんなことがあっても揺るぎません。 なぜならその源泉がまったく外部の事象に起因していないからです。
「愛」は心の持ち方です。 それはすべてのものを許し養うサポート的なあり方です。 「愛」を発するのは理性からでも頭からでもありません。 「愛」はハートから発します。
その動機の純粋さゆえに他の人たちの意識エネルギーをも引き上げます。 「愛」はかなり大きなパワーを持っています。 このレベルに達すると物事の本質を識別する能力が優れてきます。 問題の真髄が関心の中心となります。
理性(逐次的《ちくじてき》な論理思考)を使わずとも問題の全体像を瞬時に認識する能力が生まれます。 特に時間とプロセスに対してのとらえ方がそれ未満のレベルより大きく拡大します。
「理性」は細部だけを扱いますが「愛」は全体を扱います。 この能力はよく直観に関係しているとみなされています。 その理由は連続して現れる事象を頭の中で逐次的に解読するのではなく、 事象が示すパターンとか象徴などを全体の関係性として瞬間に一意に把握するからです。
直観によって把握される理解は一見抽象的なものだとみなされていますが実際にはかなり具体的なものです。 「愛」は立場にとらわれないし、区別をしないのでその結果グローバルに広がります。
どんな境界もそこにはもはや存在しないので「他と一つになる」ことが可能です。 したがって「愛」は包括的であり「自分」という意識の範囲が自己を超えて拡大していきます。
「愛」は生きることのすばらしさに焦点を合わせてポジティブさを増大させます。 そしてネガティブなものを攻撃することよりもそれを認め解放することによって溶かし消滅させます。