意識レベル199以下の対処方②
フォースの発生も必要だから起こっている…そこから何に気づくか
199以下の意識が悪いものであるという判断はいけません。意識はどんなものであろうと意味があるものです。 ただし、意識が現実の世界に反映されるという普遍的なルールが 存在することを念頭におき、200以上の意識になるべくとどまるよう心掛ければよいのです。この「罪悪感」という意識も人間が自我を発達させる際、自由意思という本能を超えた行動原理を 獲得するために同時に構築された意識です。
肉食動物が獲物を捕獲し食べるという行為は、本能として自己を存続させるという自然のものであるため、 「罪悪感」という意識はありませんしそれを持つ必要もないわけです。
本来、人間も生物として生きるという範疇でとどまっていれば「罪悪感」という意識を獲得する必要が無かったのですが、 自由意思という行動原理を獲得したがゆえ自己を存続させるという本能を超えた欲望を追求するようになり、 それを制限するために「罪悪感」という意識が自動的に芽生えてしまったのです。
我欲を追求すること自体は悪いことではありません。 どんどん豊かさや幸せを求めればよいのです。 しかし、飢えを満たす以上の我欲のために他の生命を侵害することは、生命としてやってはいけないことです。 つまり「罪悪感」は他や自然に対する侵害を制限するための意識です。
この「罪悪感」がなければ、戦争、殺人、暴力や破壊など他者や自然を侵害する行為を抑えることができません。 このような存続目的以上の他者や自然への侵害に対する「罪悪感」はなくてはならないものです。
ただし、対処方①で述べたような、「・・・すべき」「・・・でないといけない」というような 凝り固まった信念《思いこみ・こだわり》から生み出される「罪悪感」は不要です。
どんな「罪悪感」にしろ、抑えたり、拒絶したりしすぎると本文のとおり破壊的な行為として、 そのエネルギーを発散させようとしますので「罪悪感」の存在を認め観察し解放しましょう。
「罪悪感」を信頼できる人に話したり書き出したり客観的に心の中で観察したりして、そのエネルギーは解放してください。 いつの間にかその意識は消えます。
人間は人生を自由に創造し、さまざまなことを自由に経験できます。 単に生命を維持し種を存続させるためだけに人間は生きているのではありません。 さまざまなことを経験し、それ《経験》に伴う意識《感情》を経験するために人間はこの世に生れてきたのです。
つまり、すべての意識は人間として存在する以上、必然的に経験するものなのです。 そうなるようにそうできるように望んで自我は発達したのです。 ですから199以下の意識であろうともその意識を認めて感じる必要があるのです。
すべての意識(状態)を経験したいと望んで人間として生まれ(てき)たのですから。 すべての意識は抑え込んだり、無視したり、拒絶して一次的に消し去っても 必ず何かのきっかけでエネルギーを増して《再び》浮かび上がってきます。
もともと、感じたいと思って自分で発生させた意識ですから当たり前です。 意識の存在を認めて感じてあげれば、その意識は存在意義がなくなりエネルギーを弱め、暴走しなくなります。